夢のなか

僕が絵の中に求めているものは、いつも同じ。

朝、目覚めたとき、みていた夢を布団の中でぼんやりとした頭で、

思い出そうとしている気分を描きたいんだ。

 

夢の中で行った町はいったいどこだったんだろう?

通った道はどこに向かってたんだろう?

知ってる場所のようなんだけど、結局は見知らぬところで、

どこに行こうとしているのかだんだんとわからなくなってきて、

不安が募ってくる。

 

なんだそうだったのか?

夢の気分がでれば満足だったのかあ。

 

 


ボーリング場のある町

私は小都市が好きである。
大都会でもなく、田舎でもない。
古い町ではなく、新興の都市。
駅から十分も歩けば
町のはずれに突き当たる。
そこにマクドナルドやら
ボーリング場があれば、なおいい。
がらんとしたレーンに
ピンの弾ける音が空しく響き、
私にはその音が
文明の果てを知らせる合図のように
どうしても聞こえて仕方がないのだ。
ストライク!

 


2枚の「マジックマウンテン」

マジックマウンテン(朝日)
マジックマウンテン(朝日)
マジックマウンテン(夕暮れ)
マジックマウンテン(夕暮れ)

モネの絵でルーアン大聖堂の朝から夕暮れまでを同じ角度から描いた、4枚の有名な絵がありますが、「マジックマウンテン」ではその技法を引用してみました。しかし、モネの絵が動かない建物であるのに対して、「マジックマウンテン」は時間を経てもなお、動くべきはずの人物たちの配置ポーズにまったく変化が見られない、と言うところにモネの絵との相違がある訳です。


希望号に乗り込まんとする絶望的な男たち

希望号に乗り込まんとする絶望的な男たち
希望号に乗り込まんとする絶望的な男たち

人生は喜劇なり!

人生は悲劇なり!

人生は陳腐なり!

人生、万歳!


バケツと長靴

バケツと長靴
バケツと長靴

 この絵は、僕の絵の中では特に何を描こうとしているのか、言葉に置き換えることが難しい絵だと思います。多くの場合、絵には何らかの意味性と言えるものが内在しています。そして、また多くの場合いくつかの言葉を使えば、その絵の中に何が表現されているかを説明することは出来ます。けれども、この絵は長靴とバケツと言う、具体的に描かれている物以外の言葉がどうも思いつきません。ただ、それだけではないような匂いが漠然とは漂ってくるのですが、それが何だか自分でも解らないのです。


「乳母車」について

乳母車
乳母車

 私は、これまで殆んど遠くへ行こうとはしなかった。

この真っ直ぐに続く道に、乳母車を押す母親を見かけたが、 それでさえ私の家からほんの1キロも満たない場所での出来事なのだ。 母親のその帽子が、春の明るい太陽に照らされて、眩しく光を放っているので、 私は少し目がくらみ、町の名前も番地さえも忘れてしまった。

 

 私は、その時、どこか遠くを旅していたのだ。  


「問題神父」について

問題神父
問題神父

私のような負の部分ばかり見たくなるような者は、つい、問題神父のような人間を見つけたり、観察したり、描いてみたくなったりするものです。

まあ、それでも、家を出て10分も歩くと、たいていはそういう人に出くわすのが常です。


吉村宗浩ウヱブサイト