大人の芸術講座 01


カルチャー教室向け技法編 

 

セザンヌの塗り残し

 

 

 少しでも、絵をかじったことのある人ならばセザンヌと言う画家の名は、よくご存知でしょう。ピカソやゴッホなら、絵もよく知っているけれど、セザンヌってどんな絵だったかなと言う人は、ちょっと不勉強。セザンヌは「近代絵画の父」と称される、もっとも偉大な画家の一人なのです。水彩画もたくさん残していますから、水彩画家として知っていると言う方も多いかも知れません。

 

 さて、そのセザンヌの絵を見ていくと、後半になると、この絵、未完成? って言う絵が多く見られるようになります。絵の具を塗ったところの間に、キャンバス地の塗り残しがチラチラと見えるのです。それまでの絵画ならキャンバス地がそのまま残っているなんてことはあまりありませんでしたから、以前からの考え方でいくと、未完成と思われても仕方がないような絵なのです。もしかすると、皆さんの中にもセザンヌの絵は、晩年になると歳をとって気力がなくなって、絵が雑になってきたんじゃないかな、と思った人もいるかもしれません。

 

 そして、僕に絵画というものの新たな側面を知る手がかりを与えてくれたのも、やはりセザンヌでした。その新たな側面を知るには、キャンバス地をなぜセザンヌは塗り残したのかを考えるところから始めなくてはなりません。

 

 では、セザンヌはキャンバス地や画用紙を塗り残したか?その答えを見つけるために、その逆を考えてみてはどうでしょうか?

 

 なぜ、絵画は地をしっかり埋める必要があるの?

どうですか、こんな当たり前のことはあまり考えないものです。地を埋める理由はやはり、それがキャンバスであるとか、画用紙であると言った意識をもたれたくない訳で、絵画は平板な素地なのではなく、あたかもそこに風景が広がり、あたかもそこに人物がいるような幻覚を感じさせるものだからです。そのためには地が見えていては興ざめします。古典的な絵画は、本物があるかのようにそっくりに見せることが唯一の目的でしたから、下地を残さないのは当たり前だし、絵筆のタッチも出来るだけ残さないようにしたのです。

 

 しかし、近代絵画は絵の中にもう一つの重要な目的を見い出すことになります。その象徴的なものが、まさにセザンヌがやった塗り残しなのです。セザンヌは画面を塗り残すことで、作品に何を感じたかと言うと、絵画の「抽象性」をそこに見つけたのだと、自分自身で述懐しています。僕の記憶では、絵画史の中で、はっきりと抽象と言う言葉を使っているのは、セザンヌが初めてだと思います。ここで言う「抽象性」とは、対象を再現すると言う内容の具体性以外に、絵画の支持体であるところのキャンバスや紙の存在そのものとして感じる、塗られた絵の具がそれが建物や樹木と言った具体的なものとして感じられるより、それが筆の動きを伴って、絵の具それ自体として感じられ、それらが画面の中で内容とは離れて、絵画独自の一つの統合を生み出す。そんなことをセザンヌは抽象的と感じていたのではないでしょうか?そして、その後、それをさらに展開させていったのが、ピカソであり、また多くの抽象画を生み出すことにもなっていきます。

 

 さて、僕はここで皆さんに抽象画をお勧めしている訳ではありません。先程から言っている絵画の二面性(対象を具体的に写そうとする具体性と、紙や絵の具と言った支持体・画材をそのものとして感じさせようとする抽象性)は、何も巨匠の芸術としての絵画に限るものではなく、私たちが描く絵画にも通じるものがあると思うからなんです。つまり、皆さんの描く絵画にも具体性と抽象性が少なからず共存していると思えるのです。

 

 例えば、空を描く時、建物や樹木の形がはっきりしているのに対して、空は柔らかな感じがします。だから、水をたっぷり使い青い絵の具をにじませるようにして、ぼかしの表現を使うことがあります。そうすると、いかにも空らしく見せることができる。と同時に、私たちはそこにもう一つの鑑賞の目を向けています。それは美しい白い紙の上に、たっぷりの水が張られ、その水の膜に促され青い絵の具が拡散していく様子です。私たちはそれを空と認識するのと同時に、水、絵の具、紙と言う素材自体も確認しているのです。絵の魅力は対象にそっくりに見える言う内容表現の達成度だけでなく、素材自体のもつ美しさをどのように表現したかにもあると思います。それこそが絵画独自の抽象的感情であると僕は思います。

 

 いざ、絵を描こうとして、対象に向き合った時、その形や色と言った表面の内容ばかりを追求しようとするあまり、本来の紙や絵の具や水の持っている素材の美しさを損ないはしていないだろうか?そんなことが少し気になったもので、こんな話を書いた次第です。

 

 セザンヌの時代、そういう抽象的感情が絵画に加わってきたことは、写真の発明とほぼ時代が重なるのは偶然ではないように思えます。絵画よりも内容を正確に写し取ることができる媒体が登場してきたことで、絵画は抽象性と言う新たな存在意義を持つようになったのでしょう。