大人の芸術講座 05


午後1時
午後1時

カルチャー教室向け技法編

 

いつものこと

 

 毎日、たいていの人間は普通に玄関のドアを開け、アパートの2階に住んでいる人ならその階段を降り、そして、サラリーマンなら最寄の駅へ向かうだろうし、主婦なら行きつけのスーパーに買い物に行く。そこには何の刺激的な場面もないし、格別に何かに目を留めるでもなく、場合によっては条件反射的に道を自動的に歩いていることもあったりして、次は右、次は左なんて意識して考えることもない。いつもと違う特別な用件があって途中でいつもと違う道を通らないといけないのに、無意識でいつもと同じ道を行ってしまって、「あっ、今日はこっちじゃなかった」と、うっかりした人ならそんなことにもなりかねない。通りに新しいコンビニエンス・ストアーがオープンしていたりすると、「あれっ」と我に返る。でもこの店ができる前は何だったけかな?とも思う。それでも、そこだけが今の自分の場なのである。

 そんな退屈な風景、そして、安心できる風景。

 

午後5時
午後5時

 皆さんの風景画を見ると、旅行派と日常風景派というふうに分かれるのかな?「派」というような大げさなものじゃなく、おそらく、時間のある人は旅をしてそこで絵を描くだろうし、時間のない人は身近なところを絵に描くということになる。それはそれでいいと思う。両方いいところはある。

 こんなことは僕が今さらここで話すことでもないかもしれないが、旅先で初めて目にする風景と毎日見ている風景とは、根本的に性質を異にしている。つまり、旅先で見る風景とは初めて見る風景であると同時に、だいたいの場合、もう見ることない風景なのである。だから、見損なわないように緊張する。毎日見ている風景は、昨日も、おとといも、そして今日も見た。たいていの場合、明日も、あさっても見ることになるだろう。

 

 話が哲学的な感じにならなくもないけれども、ここで僕が言いたいのはもっと具体的なこと。つまり、旅先では×月×日の×時のその風景しか見ることが許されない。ゆっくりとした旅ならば、長い間そこに留まることもできるでしょうが、そうもいかない。ずっと雨降りということだってあるでしょう。

 

逆光
逆光

 僕の周りの風景は、皆さんの周りの風景と同じように、すごく晴れるときもあれば、曇りのときも雨のときもある。台風だってある。関西なので雪はほとんどないですが。で、太陽は東から昇り、西へ沈む。だから周りの建物は、朝は西側の壁が陰になり、夕方になるとそこには強い西日が降り注ぐ。毎日見ているから、いろんな場面を観察できる。

 

 僕には当たり前なことをベラベラとしゃべってしまうところがあるのだが、当たり前のことっていうのはいくらでも出てくる。けれどもそこには案外、大切なことがいっぱいあるという気がする。もう一回、繰り返して言おう。

 

 朝は西側の壁が陰になり、夕方になるとそこには強い西日が降り注ぐ。

 

曇り
曇り

 さて、今回載せている4枚の絵の解説を少ししておきたいのですが、絵の中に登場している人物は僕自身でありますが、その2階建てのアパートは僕の家ではないこと。つまり、近所のアパートの階段を登ったり降りたりしているところをうちの奥さんに写真で撮ってもらって、それを基にして描いた絵なのです。そして、晴れた日や曇った日、朝、夕方というふうにいろんな場面で描きたかったので、何日も近所の知らないアパートを我が家のごとく登り降りしていたというわけです。

 

 絵の具体的な解説というのは今回は特にないのですが、とにかく題名のとおりのことです。しかし、ひとつだけ言っておかなければならない大切なことがあって、そのアパートの壁は白いのですが、言葉で「白い壁」と言うのと、実際にその時に見える色というのは違う。もし、朝日でその壁が逆光でグレーに見えたとしても、僕たちは経験上、この壁は白い壁であると判断します。実はこの経験的な知識が絵を描くときの大きな妨げとなる。逆光で白い壁がグレーに見えていても頭の中でこの壁は白いもんだと決めつけていませんか。その判断によっていつも同じような風景画の色になってしまっていませんか?僕が今回いちばん言いたいのはこのことです。

 

 いつものことはいつものことです。そんなに目新しいことはない。たまに、どっかの酒屋がコンビニエンス・ストアーに変わるくらいです。でも、いつものことだから、ほんの微かな変化でも観察することもできる。

 

 今日はよく晴れた。

 朝。そのアパートを見た。逆光だった。

 昼。壁は真っ白に輝いた。空は青い。

 夕方。西日が当たっているところと陰との対比が心地いい。

 

 次の日。曇り。全体に暗い。

 

 忙しくて旅行ができない皆さん。光はすべての場所に注がれます。美しい場所といわれるところにも、そして家の近所のアパートの白い壁にもです。光ほど日常的なものはなく、光ほど美しいものはない。光自体、目に見えるものではない、形もない。けれどもスクリーンに映し出された幻灯の絵のように、光は物体を照らし出すことで存在を具体化し、そして絶えずうつろいいく。


吉村宗浩ウヱブサイト